第七話
差し込む光がいつもより強い気がして。瞼をゆっくり開ければ、海の向こうで朝日が昇り始めていた。発光した水平線は、波の揺れに合わせて静かに煌めいている。アスレイドはその様子を、やはり椅子に腰かけながら静かに眺めていた。
「おはよう、ノイン君」
昨日の夜、触れられなかったぬくもりはいつもと変わらない様子で笑いかけた。既に真っ黒な神父服を身に纏い、まるで紅茶を楽しむようなゆったりとした姿は、彼の周りだけ時間の感覚がずれているかのようだった。いつからそうしていたんだろう、一人、陽光が顔を出す瞬間を迎えていたのだろうか。
「……はよ」
まだ疲れの残る身体を起こす。今が何時だか分からないけれど、この空気のまま過ごすのは心がもたない。だからといって、どんな声を掛けてよいのか分からない。身体を介在しないやりとりは、どうするんだったか。思考の回らない頭で言葉を紡げないでいると、アスレイドがおもむろに腰を上げた。
「ごめんね。今日も、行くところがあるんだ。ノイン君も、ゆっくりするといいよ」
昨夜と同じことを言われたというのに胸がざわつかなかったのは、言葉が甘い空気を含んでいなかったからだろうか。きっと、今度こそ。アスレイドはこちらを試していない。そんな確信めいたものがあった。
「……ああ」
だから、ノインははっきりと返事をすることができた。しかし、どこに足を向かわせるかは決まっていない。
南の地で、迷子になった気分だった。
潮風が白と黒の髪を優しく揺らす。町は今日も喧噪で活気づいている。獲れたての野菜や肉、魚を売る威勢のよい声、珍しい鉱石が入荷したことを控えめに告げる声。中には、旅で必要な布袋や短剣を並べただけで、腰掛けているだけの語らぬ者もいる。なるほど、眺めているだけで購買欲がそそられる。昼と夜とでまったく違う顔を見せる南の地で、ノインは行くあてもなく散策を続けていた。すれ違う人々はどこか、何かを待っているように楽しそうにしている。だからこそ、自分はどこに向かえばよいのか分からない。
誰かが、この歩みを止めてくれないだろうか。そう思ったときだった。
がしゃんと、陶器が割れる音が鼓膜をつんざいた。他の人々と同じように音の出所に顔を向けると、体格のよい男が女の華奢な手首を引っ掴んでいるところだった。
「いいじゃねえか、今から付き合えよ! 金なら出すって言ってんだよ!」
女の足元には、割れたカップの破片が散乱していた。テラスに設置されたテーブルからは、喧噪に巻き込まれるのを恐れた人々が慌てて椅子から離れていく。
男は女の腕の二倍はある太さの腕で、無理やりその身を引き寄せようとしていた。女の胸元にかかる二連のマチネが大きく揺れる。
「いやよ! 愛がないじゃない! まっぴらごめんだわ!」
「んだとォ!? 金ならあんだよ!」
「金に愛はないわよ!」
女は勝気に、首をぐうと上げて男を睨み付ける。遠巻きに眺める群衆は、ただ愛の祈りの先を見守るしかできない。その加護の在り方は理解できないけれど、ノインが一歩足を踏み出そうとしたとき、エルミナの風が走り抜けた気がした。
「あらあ、確かに愛がないわね」
その声は、凛としながらもどこか艶やかであった。胸元と背中が大きく開いた薄い桃色の上衣は、身体のラインがくっきりと分かる。長い髪は後頭部の上で束ねられ、夕焼けの色をしていた。開いた花弁のようにフレアスカートを翻しながら前に出た女性に、群衆は自然に道を開けた。
腕を掴まれていた女が、ぱっと顔を明るくしながら叫ぶ。
「リュエル!」
まるで騎士が自分を助けに来たかのような。そんな歓声のようで。リュエルと呼ばれた女性は、未だ腕を離さない男の目前まで歩み寄った。
「んだてめえはよ、代わりに自分を買えとでも言うのか?」
男の黒い眼は、リュエルの全身を品定めするかのように視線で舐め回した。豊満な胸、くびれた腰。すらりと伸びた手足。どれも、性的興奮を煽るのには十分すぎる。下卑た物言いにも動じることなく、リュエルの視線が真っすぐ頭上の男を射抜く。
「あたしはね、この地の民だから。愛がないことは赦せないのよ」
ゴトン。足元に、重い何かが落ちた音。リュエルの手には黒光りする鎖が握られていた。鎖の先には棘のついた球体が繋がっている。地面に落ちたのは、頭ほどあるこの球であった。外見ととても似つかわしくないフレイルに、男の身体が一瞬たじろいだ。
「て、めえら南の女だろ!? だったら」
「だったら、なあに?」
リュエルがこげ茶色の瞳を細ませながらを引くと球体が宙に浮く。球体があった地面は、同じ形で抉られていた。
男は漸く女の手首を離すと、悪態を吐きながらその場を走り逃げていく。大柄の背中が見えなくなったところで、囲むように群がった群衆からわぁと大きな声が上がった。
「大丈夫? 怖かったね」
リュエルは駆け寄ってきた女に優しく声をかけると、にっこりと笑いかける。給仕の女は、手首を擦りながらもきらきらとした瞳を輝かせ眩しく笑って見せた。
ノインは、拍手や歓声渦巻く人々の群れの中で一人立ち尽くすしかできないでいた。突如現れたリュエルという存在に圧倒され、何が起こったかまだ理解しきれていない。女達の会話を唖然とした顔で眺めていると、こげ茶色の視線がこちらに投げられた。視線が交差した瞬間、やはりそれは細められたのだった。
「アスレイドと一緒にいたのはあなたね」
白昼の喧噪の後、リュエルはノインに近付くと一緒に行かないと声を掛けた。もとより行き場所もなかったのだ、二つ返事をすると先導されるように街を抜けた。道すがら、何度声を掛けられただろう。その相手は、自分ではなくリュエルに投げられたものだったけれど。
浜辺に出ると、昼光に照らされた海が真珠のように煌めている。白い砂浜の上でリュエルはふうと軽い溜息を吐きながら腰を下ろした。ぱっくりと開いた背中には、球のような汗が浮かんでいる。
「改めて。あたしはリュエル・カシェリナ。エルミナの地でシュレインをしているわ」
苔色のケープが、波風に撫でられて揺れる。ノインが自らの名を明かすと、反芻するようにノイン君、と艶やかな唇から名前が零れた。
「町の子、皆言ってたの。アスレイドと一緒にきた男の子がいるって。素敵なのよって」
「そりゃあ、どうも」
甘く擽る言葉は、どうも落ち着かない。隣に腰かけるのも憚られて、ノインは立ったままリュエルを見つめる。その様子を見て、くすりと口元が緩く上げられた。
「んふふ、アスレイドが誰かを連れて南に来るなんて、初めて見たわ」
その言葉は、ひどく心をざわつかせる。アスレイドは、今まで何度もこの地を訪れ、一夜の愛を交わしてきたのだろう。それは、女達が噂をしていたこと、そして昨夜纏っていた空気。どれもが真実だと突き付けられたような、胸を引っ搔くようなむず痒いものだった。
「……知らねえよ、ンなこと」
絞り出した声も、リュエルは笑って海へと流してしまう。
「……ねえ、ノイン君」
砂浜に投げ出した指先で、リュエルはさらさらと砂をすくいあげながら言った。白い粒がこぼれ落ちるたびに、どこか遠くを見つめるような声になっていく。
「昔、あたしにもね。祈った相手がいたのよ」
波音が、一瞬だけ静かになった気がした。
「その人は、あたしを見てくれた。優しくて、まっすぐで──誰よりも綺麗だった。でもね、その人はね、自分を壊そうとしてたの。祈りって名のもとに、全部、壊して……全部、捧げようとしてた」
指先から砂がさらりと落ちて、空を掴む。
「だから、あたしが先に壊したの。祈るよりも、捧げられるよりも、ね。そうしなきゃ、わたしが壊れる気がしたから」
「異形、になっちまったのか」
リュエルは、微笑んだままだ。大きな二つのふくらみの真ん中で、黒い色のネックレスがきらりと音もなく光る。
「今でも感触が残ってる。あの人の頭を、潰したとき。あの時、この愛は最後まであたしのものよって、思ったのよねえ……」
ノインは言葉もなく、海を眺めている。真珠色の光が、揺れていた。
エルミナに言わせれば、愛は与えるものなのだという。だけれど、すべてを捧げる愛は身を滅ぼす。愛の裏にあるのは、狂気は、ノインにはやはり理解しがたいものだった。愛さえあれば、赦されるのだろうか。愛は、すべてに勝ち得るのだろうか。愛の名のもとで、一体なに、ができるというのか。
しかしその激情の中には、何か手に取ることも畏れるような何かがあるのだろう。それが何か、は、やはりノインには遠すぎる。
リュエルは、やんわりと微笑みながら、ノインの青い瞳を真っすぐに射抜いた。
「ノイン君──君だけが、祈ってると思ってた?」
艶やかなこげ茶の瞳が、いたずらのように細められて、こちらを見つめてくる。
その眼差しは笑っているのに、どこか哀しみの膜を纏っていた。
それでも、自分の祈りだけは本物だと信じたかった。
「……祈ってるって、どういう意味だよ」
ノインの声に、リュエルは何も返さない。
ただ、海だけが揺れていた。
宿に帰る足取りは、けして軽くない。
道の角を曲がったあたりで、夕闇の昏さに溶け込み始めた女達の声が否応なしに耳に入る。
ねえ、アスレイド様。また来てくれないかな。
あーあ、あたしも抱かれたかった。
他の男じゃ満足できないもの。
ノインは立ち止まらず、眉をひそめながら歩みの速度を速める。
先程までリュエルと話していたせいか、心の奥で冷えたものがじくじく疼く。
あの瞳。笑っているようで、泣きそうに揺れていた瞳は。誰に向けられていたものだったのだろう。
町が、顔を変える。その前にアスレイドの元に辿り着きたい。アスレイドの顔を見ないと、落ち着けない。足元から自分の影形が崩れていくような思いだ。自分という輪郭が、世界から切り取られるような。罪を償うことなく生きている自分を世界に留めているのは、あの男だ。ああ、自分の形がぼろぼろと消えてしまいそうだ。その前に、アスレイドに会わなければならない。できることなら、自分にしかできない何かがほしい。何もない自分にできることは。
祈るような思いで宿の扉を開けると、昨夜と同じようにアスレイドは色が変わる空を窓辺の椅子で眺めているところであった。陽の角度が変わったせいか、頬をなぞる光の色は柔らかくなっているように見える。それでも、どこか遠くを見ている横顔は変わらない。
「おかえり、ノイン君」
振り返ることもなく、立ち上がることもなく、背を向けたままの声はただそこに在るだけというような。まるで一枚の絵の中にいるような男を前に、ノインはああとだけ返す。モノクルが、机の上できらり煌めいた。
ただいま、でも何をしていた、でもない。
自分を待っていたのだという前提がどうしても口にできない。代わりに、後ろ手で締めた扉の音がやけに静かに響いた。
「あんた、今日も神様やってたのかよ」
低く、吐き捨てるように言った声に、ようやくアスレイドがこちらを振り返る。翠色の瞳が柔らかく、笑った。
「神様、やれていたのかな。……そうだとしたら、そろそろ降りたい気分だけれどね」
ノインの胸の奥で何かが弾ける。
この男はいつだって、そうやって笑う。何かを与える訳ではなく、何かを求めるものでもなく。その身に纏う神性は、ノインを何一つ肯定しない。
それが、ひどく腹立たしいのに。そこにしか、自分が世界に在れないのに。
届かない祈りが、ノインの在り方をないものにしていく。
何もかも、爪の先さえも消える前に──せめてこの手で、アスレイドを壊して祈りたい。
「……なら、降ろしてやるよ。神様」
ノインは靴を乱雑に脱ぎ、窓辺へと歩み寄る。その様子をじっとみつめる視線を感じたけれど、目は合わせない。目を合わせたら、きっと何かが零れ落ちてしまう。
「しんどいんだろ、神様ごっこ。だったら、俺が壊してやる」
俺の手で、俺が、壊してやる。喉まで出かかった言葉は声帯を震わすことはなかった。それでも吐き出された言葉は、どこか無理やり自分を納得させるような響きをしている。アスレイドの瞳が、待ち望んでいたかのように弓の形に細められて。
「……うん。お願いするよ。ノイン君」
その声が、あまりにも優しすぎて、まるで本当に救われたかのような色をしていたからノインは舌打ちしたくなる衝動を噛み殺した。この男は、何を求めているのだ。壊すことを望んでいるというのか。なら、上等ではないか。
ケープを床に脱ぎ捨てると、腕をアスレイドの胸元に伸ばして引き寄せ立ち上がらせる。そのままベッドに転がすと、態勢を整えられる前に圧し掛かった。黒い襟元のボタンを外しながら、顎の下に舌を這わせる。
「ふ、ン……」
甘えるような声が零れて、少しだけ気をよくしたノインは舌を伸ばしたまま形のいい耳を食んだ。耳介の凹凸に合わせて舐め上げ、わざと唾液が跳ねる音を響かせると甘たるい声が喉を吐いた。
か細く震える声を聞きながら、ノインの両手がアスレイドの衣服を左右に寛げさせる。白く、それでも筋肉の形が分かる裸体の形を確かめたくて、湿り気を怯えた掌で縦横無尽にまさぐる。
「……っ」
指先で胸の先を引っ掻くと、ひくりとアスレイドの喉ぼとけが震えた。舌先が耳殻の縁をゆっくりなぞりながら、耳の窪みに押し込むように突き入れ、そのまま、耳の奥で囁く。熱い息と唾液が流れ込むように。
「なあ、あんた。また南に来るつもりだろ」
「っ、ぅ……あっ、なんで、舌、だめ……そこ……ん、っ」
ねっとりと、音を立てずに。二本の指で挟んだ乳首を、両方一緒に軽く捩じる。
「っ、ん゛、ぅあ、ノイン君……っ、ふ、んっ……」
「答えろよ。あんたを欲しがってる女、山ほどいるだろ」
言葉が孕んでいる意味を掬われる前に、何度も、何度も。水音を立ててアスレイドを煽っていく。いたたまれなくなったアスレイドの腕が、乱暴に上衣の袖を片方だけ脱ぎ取ると、ノインの背中にしゅるりと巻き付いた。
「君だけ、君だけだよ……っ、欲しい、のは、君だけだ……!」
それでも、指先に力を込めて今までよりも強く引っ張ると腕の中の男が大きく背を跳ねさせる。スラックスの上からもはっきりと形を成している陰茎が、解放を求めて前を大きく膨らませていた。
アスレイドに応えることなく、ノインは掌を下に滑らせると性急な手つきで下着と衣を一緒にずりさげた。薄い陰毛の元、ぐうと先端を赤くしながら飛び出した茎を握ると、上下に扱く。耐え性のないそこは、すぐに透明な先走りを吹きはじめノインの掌を湿らせていった。
「んっ、っあ……っ、ノイ……ン君、だめ、もう……っ」
その嬌声は、どこか満たされたように歓喜に溢れている。掌の中で赤く育つ茎を弄びながら、ノインは首筋、鎖骨、胸へと舌を滑らせていく。アスレイドの腕が届かなくなった頃、青い瞳の視線はそそりたつ茎へと注がれていた。健気に震えるそこは、与えられる快感を貪欲に求めているようで、ノインはますます嗜虐心をそそられる。
「あんたの、っ……泣いてんじゃん。こんな、びしょびしょに濡らして」
溢れた先走りが指の間で跳ねて、水たまりを跳ねるような音が響く。掌の中で膨らんだ陰茎は、既にしっかりと勃ち上がりぐうと裏筋を浮き立たせていた。
酷くしたい訳じゃない。それでも、汚したい。汚せるのは、自分だけでありたい。
ノインは両膝をベッドの上につくと、アスレイドの身体の上を跨ぐ。空いている手で金糸を緩く掴みながら上半身を起こさせる。同時に、湿った手で自らのズボンのバックルを外し、熱く息衝く自身を取り出した。
赤黒く染まった亀頭をアスレイドの唇に押し付けると、形のいい朱唇が上下に開き、ぬるりと口腔の中に迎え入れられた。
「――ッ」
ぞわりと、温かい体温に包まれて背筋が戦慄く。髪を掴んだままアスレイドの頭を前後に揺らすと、短い吐息が鼻から漏れてノインの陰毛を震わせる。大きく張った雁首が上顎の粘膜を擦る度に、腰が砕けるような快感に襲われた。
「ん、ふ……ん、ぅ、んっ……う、ぅ、うン……」
アスレイドの奇麗な口元から凶悪な造形が出たり入ったりする様がひどく倒錯的で、ノインの息も荒く刻まれる。意識しているのか喉の筋肉をきゅ、と締められると一気に射精欲が煽られた。息苦しい筈だろうに、その表情はひどく穏やかで、ノインのすべてを味わいつくそうと貪欲にも見える。
頬の空気を抜くように窄められただけの口淫でも、ノインの射精欲を誘う。その内、ノインが動かなくてもアスレイドは自ら頭を前後に振ってノインの精を乞うていた。
大きく腰を引くと、ちゅぽんと間抜けな音がして熱楔が口から引き剥がされる。先端の孔と唇が透明な糸で結ばれていたけれど、音もなく途切れた。呼吸の整わないアスレイドの腰を引き寄せると、中に沈む前に上半身をぐうと前に出し、その耳元へ唇を寄せる。
「なあ、今……本当に俺だけって思ってんのか? 神様」
声ではなく、吐息に近い音だった。低く喉で囁かれたその声は、アスレイドの耳殻に直接、熱として滲み込んでいく。舌がそっと耳介の縁をなぞり、凹みに指をなぞるようにゆるやかに滑り込むと、アスレイドの肩がひくりと揺れた。
「っ……ノ、イン君、あっ、……っ、声、それ……ぁ……」
言葉の合間にも喘ぎが挟まり、まともに応じることができない。だがノインは、返答を得るまで許さないというように、さらに強く、耳の内側をねっとりと舐める。
「言えよ。俺だけだって。……言わねえと、このままだ」
拗ねたように甘く、それでいて突き放すような声音に、アスレイドはか細く首を振る。それは拒絶ではなく、快楽に耐える無言の震えだった。このままが何を意味するのか、考える余裕もなく。否、ただ、ノインが欲しくて、答えた。
「君、だけ……君しか、いないよ……」
ようやく吐き出されたその声に、ノインは満足そうに喉を鳴らす。
「……そうかよ、じゃあ、安心して壊れな」
その低い声に、まるで祈りのような執着が滲む。アスレイドは目を細め、恍惚としたように腰を揺らした。未だ唾液が絡まる熱楔に手を添えると、アスレイドの奥の窄まりに照準をあててゆっくりと身体を押し進める。既に何回も暴かれたそこは、僅かな湿り気だけでノインを受け入れられるように作り替えられていた。
「っ、ぁっ、あ、あ、んっ、ぁ゛……っ」
身体の最も奥深いところを拡げられて、アスレイドは眉間に皺を寄せる。ノインのすべてが埋め込まれる頃には、小刻みに身体を震わせて熱を享受していた。
「ノイン君……もっと、君の祈り、ちょうだい……」
それが合図で、ノインは腰を前後に揺すり始める。律動に合わせて乾ききっていない体液がぐちょぐちょと湿った音を奏でる。動きに合わせて、アスレイドの陰茎がゆらゆらと揺れていた。
獰猛な獣のように、ノインは快楽に喘ぐ男の顔をじっとみつめる。美しく顔を歪ませ、快楽に浸っている男は苦しそうな顔をしているというのにどこか嗤っているように見える。
だから、あえてノインは口角を上げた。
「……なあ、これで、あんた……満足かよ……ッ!」
「っ……っ、ノ……イン、君……っ、ん゛、ふ……」
噴き出した汗が、アスレイドの肌の上に滴り落ちる。穿つ角度を変えると、喉を吐いた喘ぎが濁って破裂した。
「あ゛っ……! や、そこ……っ、ふ、ぅ゛っ、く、ぉ……!」
内側の、こりこりとした感触の前立腺を意識して突いてやれば、いよいよアスレイドはまともな返事ができなくなる。ノインはシーツで遊んでいたアスレイドの両手首を引き寄せると、打ち付けるように腰を前後させる。ノインが深く沈み込むたび、アスレイドの口から零れる声はもう言葉の形を保てなくなっていた。
「ふ、ぁっ、ん゛、くぅ……っ、も……だ、め……ノイン君……壊れ、ちゃ……」
「なんで……っ、笑ってんだ……!」
揺さぶられる顔つきは切なく哀しく苦悶の顔を象って、唇の端からは飲め込めない唾液が一筋顎に向かって走っている。だというのに、嗤っている。この男は嗤っているのだ。
握る手首に無意識に力が籠る。きゅうと締まる甘い締め付けを振り払うように、奥へ奥へと突き立てる。
「あ゛っ、ぁ、ぅ゛っ、…あぁ、! あ、あ、んぅ、うぅ゛っ」
最早ノインの声は届いていないだろう。翠色の瞳に張った薄い水の膜は、強すぎる快楽のせいだろうか。
肉のぶつかる音と、濁った嬌声で溢れる部屋の中、ノインは終わりの兆候を感じて何度も何度も奥を目指して穿った。
「ぁあ、壊して、ノイン君、こわして……っ、きみに、壊してほしい……っ」
それは、魂の叫びのようであった。アスレイドの茎から漏れる体液は、白く濁りきっている。
「そっか、じゃあ遠慮しねぇ。……神様、俺が壊してやるよ」
アスレイドの祈りが届ききる前に、ノインは終わりを目指して腰を振り続ける。どこを見ているのか分からない、翠色の瞳をみつめようとしたけれど何かを拒むように瞼が開くことはなかった。
向かいたかった先がどこなのか、終わりを目指していた筈なのに、今ではもうどこにいるのか分からない。確かなのは、上がり続ける嬌声と、甘く締め付ける肉の壺。魘されるような熱と、貫かれてもなお嬉しそうに笑うアスレイドの顔だけだった。
ベッドの上で肘をついたアスレイドが、ノインの顔を見下ろしながら口を開く。まるで、おとぎ話を聞かせるかのように。
「東に行こうと思ってる。付き合ってほしいんだ」
「東? ……」
ノインの心が静かにざわついた。二度と向かうことはないと思っていた、生まれの地に行くと提案されて、返事に迷う。だからといって一人中枢でアスレイドの帰りを待つのも気が引ける。
是も否もなく押し黙っていると、肘枕にしていた頭から癖のある金糸がさらりと零れた。
「エクルシエル、って旧い言葉を知っているかい?」
エクルシエルは、人が人たらしめる魂の光であり、個々人に与えられる神の啓示を意味する。神の声を聞いた者は、神に触れた体験として実感することで、信仰の核となる。その光は、神の意志の断片に触れた瞬間にしか見ることができない。――何度も聞かされてきた話だ。
「ああ、……ずぅっと昔。親父やおふくろが生きてる頃に。もう、忘れちまった」
それで十分だというように、アスレイドの瞳が穏やかに細められる。
「じゃあ、クエル書を知っているね。中枢の神殿にあるんだけれど」
中枢で保管された聖典クエル書に書かれているのは、エクルシエルの光をいかにして受け取ったか。どのような生き方であれば、神の光に触れられたかという記録が残されている。クエル書に書かれたことが奉神官によって各地域の教堂の宣託者に伝えられ、民衆に広められる。それを手掛かりに、ネルガルドの民は皆、神の光を求めながらその一生を終えていく。誰もが皆、エクルシエルの光をその身に抱くのを信じて。
「……ノイン君。僕はね、クエル書に疑問を感じているんだ」
その告白は、おおよそ宣託者としてあるべき姿ではないものだ。穏やかな翠色の瞳は、揺れることなく真っすぐノインを見つめている。
「南に来たのだって、クエル書にはない”エクルシエル”を聞きに来たからだよ。……本当は、記録されることだって、必要ないのかもしれない」
「……」
ノインは何も言わず、その言葉の重さだけを、身体の奥に沈めるように受け止めていた。その静けさが、話し続けることを赦されたのだと認識したアスレイドは、そのまま言葉を紡ぐ。
「クエル書に載っていることを伝えても、それは誰かの手によって載せるべきだと解釈されたものだろう? エクルシエルが本来、一人ひとりに在る光であるならば。誰か他人の手によって、都合のいいようにその受け方を教えられるのだとしたら。――それはもう、クエル、と僕達宣託者が呼んでいるものになってしまうんじゃないかな」
「……あんた、それ、本気で言ってんのかよ」
明らかな異端に向けた言葉には、毒が含まれていない。まるで、駄々をこねる子をあやすような声色だった。
「どうだろうね。僕が、アルヴァリオで聞いてきた話と違ってたから」
「それで、東に行く理由は」
ごろり、とノインは仰向けだった身体をアスレイドの側に傾ける。その様子に、アスレイドは静かに笑った。
「エクルシエルの欠片を、探しに行くためだよ」
東に行くのなら顔を隠したいと言ったのはノインだった。
旅立ちの朝、二人で町の出店を回る。アスレイドが微笑みながら色とりどりの刺繍の入ったフードを示してきたけれど、苔色のケープには合わないと露骨に顔をしかめた。目的の物を探す中でノインの視線が止まると、横から穏やかな声で聞いてもいないのに品物の説明が始まる。とても旅立ちの準備ではない、不要な荷物が増えてしまいそうだった。結局、一人で見て回ると言って街はずれで待ち合わせることに決めた。
ノインは目元まですっぽりと覆える深緑色のフードを調達し、予定の時間より早く街はずれに着いた。遠く向こうに見える、意思の風に吹かれる草原を複雑な思いで眺めていたところで背中からアスレイドのものではない声がかかった。
「……あんただね」
振り向くより前に、その語気が肌に突き刺さった。聞いたことのない、若い女の声。まだ艶やかさが含まれていない張りのある声は若く、澄んでいて、それでいてどこか、震えていた。
「あんたが、アスレイド様が見てる人」
振り返ると、いた。
ノインとそう変わらない年格好。空いた胸元で服を押し上げる二つの膨らみは、まだどこか幼く見える。薄麻色の服が、愛と意思の風の間で揺れている。だけれど、こちらを真っすぐ射抜く瞳が、炎のようだった。
「……誰だよ、お前」
「セディ。覚えてくれなくてもいい。けど、私は──私は、ずっと、見てたんだから」
ノインはケープの下で目を細めた。その言葉の矛先は、自分に向けられたものではないことを瞬時に察した。町で何度も聞いた、あの男に向けられるべき言葉だ。
「そんなん、知らねえよ」
「知ってよ。あの人が、誰とも交われなかったの、分かってるでしょ」
「……んなわけねえだろ」
知らない。南に来て、アスレイドは。
いいや、今はそんなことを考えたくない。アスレイドのことは、今でも何一つ分かっていないのだ。だからこそ、分かっていると決めつけられることに僅かな苛立ちが混じる。
セディの唇が、乾いて震えていた。
「私、祈ったの。ほんとに。……あの人に触れてほしくて。抱かれなくていい。ただ、見てほしくて」
祈り。祈りってなんだ。そういえば、リュエルも言ってたか。何を祈っているというのだ。祈ったところで、なんになるというのだ。
ノインの身体の下で、祈るように顔を歪めたアスレイドの顔が脳裏を掠めたから。ノインはひとつ、喉を鳴らした。
「だけど、あの人の目が、どこかに行ってるの、わかった。どこ見てるのかも分からない。でも、私じゃないって、はっきり分かった」
ノインの胸の奥で、何かが軋む。祈りって名のもとに、全部、壊して。リュエルのどこか泣きそうな瞳と重なる。祈って、何をしようとしていたんだったか。
「……夢見てたの。この手で触れたら、あの人の空っぽの中に、私が入っていけるって。私なら、って」
セディが自嘲気味に笑う。けれどその顔は、泣きそうだった。まだ結うには足りない髪が風に乗って、波のようにゆっくり揺れている。まるで、泣きたくても泣けない彼女の代わりだというように。
「でもあんたが、あの人の中に入ってった。──ずるいよ、あんた」
「……俺は、そんなつもりじゃ──」
確かに、何度もアスレイドの中を暴いたけれど。あの男はどこを見ていたかが、はっきりと思い出すことができなくて。
セディの言い分がまるで見当違いだと絞り出した声にかぶさって、声を荒げられる。
「知ってる! そう言うと思った。あんたは、ぜんぜん分かってないんだ!」
女は、拳を握る。そして静かに、ノインの方へ一歩踏み出した。その動きがあまりにも軽くて、痛い。
「──分かってたよ。分かってたの。あの人が誰も見てないことも、笑ってる裏が空っぽだってことも。でも……」
言葉が詰まる。きっと、行き場のなくした祈りはこうして消えていくのだ。ノインの青い瞳は、その最後を見届けるように細められる。
「でも、見てたんだよ、あたしは……あたしだけが、って……思ってたのに──」
ノインの胸に、どくん、と鼓動が落ちる。
それは彼女の言葉に反応したのではなく、自分の中にあったはずの何かが、彼女と重なった瞬間だった。
気付かれないよう小さく息を吸う。うまく、呼吸ができなかった。
「それを──……。……あの人、変わっちゃった。もう、誰のことも抱かない気がする。私が、私たちが、触れる余地なんて、どこにもない」
セディの声が震えた。
そして彼女は、最後に言った。
「だから、あんたを憎むよ」
「…………」
セディの声が風にかき消されるように揺れた。ノインは、目をそらせなかった。憎しみの裏にある透明な想いが、風のように痛かった。言葉が喉の奥で詰まり、返せない。
「あの人の中にいる、あんたがうらやましくて──苦しくてたまらないから」
そうして、セディはノインに背を向け町に向かって駆けだしていった。ここに残されたのは、終わった祈りの残骸だけだ。その欠片は、ノインを深く突き刺して呻くことさえできなかった。彼女の恋が本物だったことだけが、ひどく、胸に残った。
それでも、何者にもなれない自分は、何もできやしないのに。セディが言うような、大それた者ではないのに。ただ、祈っていたのは自分も同じだ。祈らざるを得ないのだ。ノインには、自分には、それしか残されていないのだから。祈らずには、生きられないのだ。
ノインは、少しでも早くアスレイドの姿を網膜に焼き付けたくなる。
だから、早くアスレイドに会いたかった。それが、今の自分を繋ぎ止める唯一のことだった。
けれど、どこかで願っていた。このまま来ないでくれ、と。
それこそ、祈るような思いで。ノインは、一人、立ち尽くすしかなかった。