四神の御手にて作られし魂が、その御座に還ることを心より願う
――――アスレイド・シェルジュ・アルヴァリオ

第四話

 アスレイドが教堂を発って向かったのは、霧深い西の地だった。日中夜を問わず立ち込める霧は、訪れる人の暴きたくない心の奥までを白く静かに濁らせる。高く伸びた常緑の木々が並び、その根元に折り重なる落ち葉を、靴底で踏みしめた。
 いつ来ても、心が落ち着かない。胸の奥、心の臓のあたりを、掬い取られて掌で転がされるような感覚。記憶が揺らぎ、様々な感情を起こしてしまう。思い出したくないもの、忘れたくないもの、思い出せないもの、忘れたいもの。記憶を司す四神の一柱、オルメスの視線が絶え間なく注がれているようで感情がざわめいている。
 音もなく、木陰の間から灰色がかった薄い緑色のコートをまとった人姿が現れた。まるで、元からそこになかったように空気の中で滲んでいる。
「悪い、来てもらって。……俺では、無理だった」
 うん、とアスレイドが笑う。音のない男はフードの下に瞳を隠したまま、それでもその声は微かに震えていた。
「いいんだ。少しでも役に立てるのなら。場所は分かっているんだろう? ニィル」
 ニィル、と呼ばれた男は静かに頷くと、踵を返す。アスレイドは一歩遅れてその背に従った。
 鳥の囀りも風の音もない、閉じられた霧の世界を二人で歩く。奥に進めば進むほど、オルメスは静かに語りかけてくる。何を思い出したい、何を忘れたい? お前は、なぜここにいるのか。
 アスレイドの教堂が西に近いといっても、完全な庇護地ではない。ここに住まう西の民は、つくづく強靭な精神を持っていると訪れるたびに感心する。記憶の蓋を暴かれる感覚は、いつまで経っても慣れそうにない。
 目の前が霞むほどに白く視界が染まった頃、その気配があった。それと同時に、ニィルが立ち止まり、コートの隙間からしゅるりと鞭を垂らす。
 視線の先には、道を塞ぐように黒い影があった。岩にも匹敵する質量は、音もなく小さな黒色の粒子をぱちぱちと弾けさせている。静かに、しかし確実に膨張している。異形化して間もないのだろうか、不確定なあり様は未だ捕食者としての自己認識がされていないようにも見えた。うまく形を定められず、何かを模倣しようとしながらも失敗しているような、奇妙な不在感。
「あれかい?」
「ああ。……頼む」
 ニィルの言葉を聞き届けて、アスレイドは一歩、地面を蹴った。霧を割るように走り出しながら腰に装備していたチャクラムに手を伸ばす。円環の刃が鈍く光を放ち、くもりの中でただ一閃、確かな存在を告げた。
敵意に反応したのか、黒い影は低く咆哮を漏らす。輪郭がぐにゃりと広がり、迎え入れるようにその身を開く。
 遅い。
 触手のように伸ばした黒色がアスレイドの目前に迫るより早く、円刃がそれを叩き斬った。霧を裂く軌道に、聖痕が淡く照らされる。
 己を祓う者だと気付いた異形は、それまでの緩慢な動きではなく、分裂するようにその身を大きく震わせる。
 黒い触手が塊から何度もアスレイドを捉えようと伸びる。アスレイドは一つ一つの動きを捉えて、異形の周りを囲むように駆けながら捕食にかかるその手を薙ぎ払う。何度も何度も伸ばされる手は、聖痕にあてられて怯みながらも止めることはない。
 手にした刃がその黒を払うたびに、アスレイドの胸の奥が静かに軋んだ。
 この手は、何を意味している。なぜ、何度も伸ばされる。誰に、対して。
 あまりに未成熟で真っすぐなその姿に、一瞬だけ刃を持つ力が緩んだ。
「────ッ!」
 黒い影が一線、頬を掠めたのを自覚した次の瞬間、また別の触手がアスレイドの腹を思い切り叩き付けた。
 岩の塊をぶつけられた鈍い衝撃の重みに、アスレイドの身体は少し後方に弾かれたが、辛うじて片膝をついて身が倒れ込むのを耐えた。地を蹴る力はまだ残っているが背骨まで響いた重みに、意識が一瞬だけ遠のきかける。
 がくんと垂れた頭上に、もう一本、黒い手が風を切って振り下ろされる気配があった。
「アスレイド!」
 ニィルの声が、霧の中鋭く走る。
 黒色がアスレイドの首を掻っ切る寸前、ニィルの鞭がそれを捉えた。黒色に巻き付いた鞭がぴんと張りつめて、編み込まれた縄に仕込まれた無数の細刃が網のように触手の表皮を断ち切っていく。鈍い痛みに耐えかねたのか、影は痙攣しながら身を縮め、未だ形を定められない塊に収束していく。
「すまないね、助かったよ」
 アスレイドは立ち上がりかける脚に力を込め、歯を食いしばった。
 痛みの中で確信したことがある。やはり、これは手なのだ。誰かを求めて伸ばされた手。何かを求めて伸ばされた手。そして、届かなかった手。
 この異形が、人の形をしていた頃。おそらく果たせなかった思いの成れの果てだ。
 もう一度、チャクラムを強く握る。アスレイドの心が異形の輪郭を捉えたところで、もう一度地面を蹴った。
 今度は、零さない。祈りも、命も。
 研ぎ澄まされた刃が、蠢く異形を横一文字に薙ぐ。
 お、お、お、と一際高く上がった叫びは、その身が終わる瞬間の哀しみか、それとも歓びか。黒い異形は、いよいよ泡沫を大きく弾かせながら身が崩れていく。その塊が岩のそれから、小石、砂と細かくなり、最後は灰となって霧散した。
 再び静寂が訪れた森の中、ニィルが駆け寄ってくる。足取りは早く、けれど何かを噛みしめるように重い。
「すまない、大丈夫か。痛みは」
「ああ、少しだけね。大したことじゃない」
 翳りのない刃を腰に戻しながら、アスレイドは殴られた腹を撫でて見せる。その動きは軽くどこか冗談のようなものでもあるが、背中に走る鈍痛は、異形の残した最後の祈りだ。
 ニィルは黙ってその様子を見つめた後、ふいに視線を足元に落とす。彼の視線の先には、もう何も残っていない。ただ、祈りの影が薄くあっただけだ。
「……俺では、無理だった。あいつの、思いを、汲めなかった」
 ニィルの声は震えていたわけではない。けれど、乾いているわけでもなかった。
 悔恨か、嘆きか。それとも、自分の中に降りてきた何かを、ただ正直に言葉にしているだけか。
「そんなに自分を責めなくてもいいんじゃないかな」
 アスレイドの声もまた、慰めではない。それでも、ニィルの瞳が一度だけ揺れた。
「……俺が、送ってやれれば、よかったのに」
 絞り出した声は、送り手としての失格が微かに滲んでいた。シュレイン、異形を祓うもの。あるまじき姿と遠い自らのあり方に揺れている。
 それでもそれ以上に、確固とした想いがあることをアスレイドは分かっている。
「君の友人が、神の御座に迎えられるのを……心から祈るよ」
 風のない森が揺れる。二人の間にこれ以上の会話はない。何もない霧の森の中、先に口を開いたのはニィルの方だった。
「……アスレイドと、一緒に住んでいる奴がいると言ったな」
 随分変わり者なのだなと続く言葉はぐっと堪える。口元に微笑みを浮かべながら、アスレイドはゆっくり口を開いた。
「うん、今頃は僕の教堂で番犬をしてくれていると思うよ」
「見に行っていいか」
 もちろん、と返すとニィルは背を向けて歩き出す。遠ざかっていく背中を見つめながら、もう少しここで祈ってから帰ろうと思った。アスレイドは何もなくなった地の上で、まだ記憶に新しい黒い影形の輪郭を思い出していた。

 そして、今ノインの目前にあるのは。
 瓶詰めにされた頭だけの異形が、何かを叫んでいる。声にならないその声は、ノインの脳に直接訴えかけているようであった。
「な、なんだよ、これッ」
 壁に沿って設えた棚は、びっしりと同じような瓶で埋め尽くされている。そのどれもが、ガラスの向こうで窪みを歪ませながら頭である形を留めようとぐにゃぐにゃと形を変え続けていた。まるで真っ黒な雲が、瓶の中に閉じ込められているような。内包された雷鳴の落とす先が分からず、駄々をこねているようだ。
「……ここにあるのは、僕が灰にできなかった異形なんだ」
 黒い詰襟服が、蝋燭に揺られて昏く照らされる。アスレイドの静かな声が、音のない叫びの中を割ってノインの鼓膜を叩いた。
 異形は、聖痕が施された武器をもって、灰になり祓われる。何度も聞いたこの世界の理。それを生業の一つとして行うのがシュレイン。それなのに、目の前のシュレインは、祓えないと言った。また、こうして異形の首を並べて置いている。ノインの中で据えられていた常識が、足元から崩れていく。
「どうしてもね。断つことはできたんだけど、灰にならない。できなかったんだ。だから、首だけでも持って帰ってきた」
 頭蓋の内側を、内側から削ってくるような感覚。
 ノインは、両手で己の頭を鷲掴みにした。聞くな、聞くな。
「……っ、うるさい、黙れ……っ」。
 誰かを呼ぶ声、誰かを愛でる声。誰かを諫める声。誰かを悲しむ声。聴覚ではない、もっと奥の方へ声が幾層にも重なりながら感覚を犯してくる。その中で一つ、はっきりとした声が届いた瞬間。
 ノノ。誰かが、呼んだ時。ノインの中で、何かが壊れた。
 ガラスの中の目が、こちらを見ていた気がした。否、違う。あれは、アスレイドを見ていた。
 目の前に立つその姿が、薄く、静かに、しかし確かに歪んで見えた。
 何かに耐えるように、何かを抱えるように。怒りでも、恐怖でもない。もっと、得体の知れない、焦燥のようなものだった。
 ノインは気付けば、アスレイドの身体に飛びかかっていた。若い身体を受け止めた痩躯は、大きな音を立てて床に叩きつけられる。モノクルのチェーンが、縋る者を探すように揺れた。
「……あんた、なんなんだよ」
 肩を地に押し付けてアスレイドの顔を真っすぐ見下ろしてみても、その瞳が揺らぐことがない。翠色の瞳は、赦しを宿しながら見定めるようにノインを見射抜く。
 どこまでも挑発的なその目が、お前に何ができると訴えているように見えたから。ノインの指先は、アスレイドのシャツを左右に大きく開く。弾かれたボタンが祈りの粒のように放物線を描いて闇の奥へと跳ねていった。
 露わになった身体に、ノインは獲物にありついた肉食獣のように歯を立てた。平たい、なだらかな胸の丘にある色濃い突起を舌の腹で舐め上げると、歯先で噛む。
「──ッ」
 アスレイドの身体が、弓なりに反る。もっとしてくれと訴えられたような気がして、ノインは葡萄を食む強さでもう一度噛む。アスレイドの手が、ノインの腕に絡んだ。そのぬくもりに、思考がかすかに揺れる。
 壊される。そう思った。
 この少年が、この身体を壊してくれるのだと。
 獣の手が、空いた方の乳頭を二指で挟んで、やわく押し潰す。
 痛みを覚えるたびに、まるで地に足がつくような歓びだ。
 ノインの腕を掴む指先に、知らず力が込められる。
 止めなきゃ、とは思っていた。こんなことをしてはいけない。
 ノインは、頭のどこかで繰り返している制止の声を聞き入ることができない。遠くで、自分の声がやめろと悲痛に訴えているのに、ここには声がありすぎる。
 舌先に感じたアスレイドの身体は、これ以上ないくらい甘くて、反応が返ってくるのが嬉しくもあった。だから、歯を立てて身を震わせたあと、何度も何度も舐め上げる。
 耳の奥では心音が暴れている。重なり響く声の向こうで、煽るように打ち鳴らされている。でもそれが、ノインの心臓の音か、アスレイドのものかは分からない。
 ただ、身体が止まれない。
 もう一方の突起を指の腹で転がすと、熱が抜けるような吐息がアスレイドの喉頭を揺らした。違う、ちがう、ちがう。こんなことをしたいんじゃない。だけれど、その反応もまた、ノインの行動に拍車をかける。
 シャツの隙間を割って滑らせた肌の感触は今まで触れてきたどんな服よりも滑らかで、肌触りがよい。まさぐるように掌を這わせると、むずがゆいようにアスレイドの身がよじられる。その姿さえ、扇情的で、ノインは全身の血液が沸騰しそうなほど身体が熱くなる。
 壊したい。
 一つ、声が差し込まれる。その声は、ノインの胸中で生まれたものか、それとも誰かの祈りか。この、神のような男を、壊したい。壊してしまえ。身体を折り、最奥まで貫いて、人の身の至らなさをその身をもって感じさせろ。
 うるさい。指先が震える。触れるのを止めなければ。どこを触れば甘ったるく声が漏れるだなんて、覚える前に。それでも、やめられない。肌を伝わる温度が、ここに在るのだと主張している。どれ一つ零したくなくて、ノインは唾液を転がした舌を全身に這わす。蛞蝓の這ったような跡を残しながら、アスレイドの身体が湿っていく。
 さっきまで頭の中で幾度も反響していた声が、いつの間にか止んでいてひどく静かだ。この人の身体に舌を這わしている間だけは、世界が黙る。
 止めたい。止めてほしい。それでも、アスレイドは拒まない。それがいちばん、こわい。
 真っ赤な視界で組み敷いた男を見やれば、あの翡翠はこちらの行動一つ一つを静かに赦していた。
 怒れよ、と思った。拒めよ、殴れよ、罵れよ。なんでそんな顔ができるんだよ。
 堪らなくなって、ノインは湿った肌に額を擦りつける。汗の香りの合間を縫って、清冽な香りが立つ。ああ、生きている匂いなのかもしれないと思うと、途端泣きたくなった。しかしそれ以上に、その身を貪りたいという衝動に襲われる。
「……ふふ、怖いんだね」
 このままじゃ、あんたに全部飲まれてしまう。
 だから、壊すしかない。あんたの形を、俺の中に変えてしまうしかなくなってしまう。
 我慢しきれなくなったという風に漏れた声さえも、慈しみで溢れている。迷子になった童をあやすような優しさに、ノインは緩くなっていた掌を再び忙しなく走らせる。前が破れたシャツがだぼついてまとわりつくから、今度こそスラックスから引き抜いた。そして、いよいよ戻れなくなるとけたたましく鳴る警鐘を無視して、フックに指を滑らせ下げると、すらりとしたアスレイドの陰茎が外気にあてられた。やんわりと頭を擡げたそこは、持ち主と同じように滑らかだ。ノインは下から掬うように持ち上げると、逆手で幹を上下に擦る。
「ん、んぅ……――」
 アスレイドは何かに耐えるように瞼を閉じ、眉間が微かに寄る。陰毛の柔らかな感触を掌で味わいながら数度の往復だけで熱がどんどん膨張する。耐え性のない先端が先端を滲ませたかと思うと、すぐに決壊してだらだらと幹を濡らしはじめる。ちゅくちゅくと水音を立てながら滑りのよくなった掌が、もう止まらない。
 それでも、ちがう。違うんだ。こんなことがしたかったんじゃない。
 ただ、怖がることはないと言ってくれたら。恐れることはないと抱き締めてくれたら。ここに在ってもいいんだと、言ってくれたのなら。触れる理由が、こんなものであってほしくなかった。
 それなのに指が止まらない。アスレイドの喘ぎに、脳の奥が反射的に震える。この男を、深く壊してしまいたい。
 ノインは、息を詰めたまま、湿った指先を下方へと這わせた。
 裏筋を撫で、丸の裏を指先で辿るとアスレイドの腿がかすかに揺らぐ。そしてその奥に、濡れた指が閉じられた皺の間へ沈んでいく。
「……っは、……ぅ、あ」
 くぐもった吐息は、拒絶にも快感にも聞こえなかった。
 拒まれたら止まれると思っていた。
 怒鳴られたら、踏みとどまれると思っていた。
 けれど、赦されてしまった今、どこまで堕ちてもいいような気がして怖い。
 前にも暴いたそこは、指先がぬかるむような柔さに沈むと、身体がふるりと強ばる。ただ、それだけでアスレイドはノインの手を振りほどくことはない。ぎちと指を食うような締め付けを祓うようにぐるりと中で円を描くと、掴んだ腕にそっと力が込められる。
「……ここ、前も」
 ノインの声も、揺れていた。
 指はもう、第二関節まで飲み込まれている。あれだけ噛みついてきたそこは、既に味わうようにゆるゆるとノインの指を食んでいる。ゆっくりと出し入れするたびに、アスレイドの身体の奥からじんわりと熱が伝わってくる。
「……ん、ぅぅ……っっ、ふっ、……く、んんっ」
 いつだったか。教壇に身体を押し付けて暴いたときもそうだった。苦し気に押し出される声は、けして拒否の色だけまとっているわけではない。もっと、もっと違う何かの色をしている。その分からない色に、ノインはただ従うことしかできない。関節を曲げてできた隙間にもう一本指を差し込むと、抽挿を思わせる動きで前後に動かした。そしてまた、あの時と同じようにアスレイドの陰茎は、涙を流し続けている。
 指を抜くと、体液まみれのそれはぬるりと鈍く光を反射していた。
 一度、深く息を吸う。
 これが、いよいよ最後だ。この時点で拒まなければ、もう後には戻れない。
 膝でたるんでいたスラックスを脱ぎ取ると、脚を左右に開いてノインはその間に身を挟ませる。自らのパンツを乱暴に引き下げると、同じように上向いた熱芯が飛び出した。そこは、収まる鞘を探して静かに脈動し、吐き出す先を探して赤く色付いていた。
 そそりたった幹に手を添えながら抜き取った衣服をアスレイドの腰の下に潜らせるとひくつく後孔がちら見えた。そして、己の切っ先を縁にあてがうと、本当に止めてくれと願いながらアスレイドの顔へと視線を投げた。
 そこには。
 ノインの先端を受け入れながら、アスレイドはただ静かに目を閉じていた。
 壊されることでしか、ここに在れないのなら。それでも、いいと思っているように。
 そして、男は。奥歯を強く噛みながら硬くなりすぎた自分自身を押し当ててゆっくりと腰を進めた。
「っく、ぅ、ううぅっ……」
 びくりと身体が震えた気がした。
 押し広げるように、押し割るように。じり、じりとその内側へと侵入していく。指よりも圧倒的な質量を飲み込んだそこは、侵入してきた異物を押し戻そうとぎゅうぎゅうに締め付ける。痛みさえ感じる挿入は一度で奥までなんて到底無理で、でも、戻ってはいけないと身体のどこかが叫んでいる。
「くそ、きっつ……っ」
 奥に入るのを拒む肉の壁を、無理やりに押し進む。それでもぐ、と根元まで押し込んだ時、アスレイドの喉奥から嗄れた呻きが漏れた。
 荒い息を吐きながら、ついに禁忌を行ってしまったことの罪深さに震える。どうか、どうか。蔑む視線を一つ投げてくれたなら。元より罪深いこの身だから、今更もう一つ罪を重ねたとしても変わらないと思える。肩で息をしながら、もう一度アスレイドの表情を垣間見た先には。
 閉じた瞼の下で、アスレイドの口元がほんのわずかに綻んでいた。
 それが笑みだったのか、痛みに歪んだものか、ノインには分からなかった。分かりたくなかった。
「あ゛っ……! んんっっ、ぅあ、あっあ……っ!」
 それが合図というように、ノインは腰を前後にゆっくりゆすり始める。内臓を掻き出されるような感覚に、アスレイドは細かく吐息を漏らしながら身を震わせる。その震えが、ノインの腹を伝って、心臓まで届いた。
快楽じゃない、けれど快楽よりも深くて、もう戻れないと身体が叫んでいた。
 心臓が、息と一緒に暴れている。こんなもの、初めてだった。
 音がしていた。息の音。心音。肌の打ち合う音。奥へ、奥へと進むたびに、アスレイドの身体がわずかに震えた。すぐに内側が締まり、ノインの芯を咥えて離そうとしない。
 濡れていた。熱を帯びたそこは、吸い込むように滑らかで、それでもたまに鋭い痛みが混じる。アスレイドの吐息が、苦悶にも快楽にも似ていた。
 これだけノインでも痛みを感じるのだ。アスレイドもまた、引き攣る痛みを感じていないわけではないだろう。それでも、耳に届く声は悲痛なものだけではなかった。
 「あっ、ぅ、んんっ……く、あ……」
 その背筋を這うような声が、鼓膜の奥に届くたび、脳の奥が痺れていく。腰が勝手に動く。脳が命じる前に、脚の付け根から波が這い上がる。ノインは深く、突いた。そのたびに、確かに奥で弾けるように、アスレイドの体が跳ねた。
 ああ、でも。気持ちいい。陰茎を縁でぎゅうぎゅうと締め付けられ、奥に入り込めば少しの空洞を感じた後に、肉の壁にぶつかる。突くように先端を擦りつけると、びくびくとアスレイドの長い足が戦慄いた。
 「あ、あ……」
 何か言いたかった。けれど喉が塞がる。アスレイドの翠色の瞳は閉じられているのに、見られている気がした。赦されるような、それでいて、試されているような。飲まれているのに、飲ませているのは自分の方のような。そんな感覚。
 「……ふっ、く……ん、んっ」
 その声に酔っていく。何もかもどうでもよくなって、ただこの奥に在りたいと願ってしまう。強引に開いた身体が温かくて、締め付けて。腰を引けばいかないでと言わんばかりに縋られて。ああ、これで、良かったのだろうか。本当に? 俺がやったことは、罪の一つに刻まれるような、この男の尊厳を踏みにじる行為だ。白と黒が混ざった髪が揺れる。熱に浮かされた瞳で、もう一度、もう戻れないのだけれどもう一度。アスレイドの顔を見たかった。
 視線の先。伏せた瞼の奥、綻んだ唇は、痛みの残滓か、それとも満たされた者の微笑か。けれどそれが、どこか深くから湧いたものだということだけは、わかった。
 その微笑みは、痛みに歪んだものかもしれない。あるいは、赦しでも、慈しみでも、快楽の証でもないけれど。こんなことをされて、この人はなお、そんな風に笑うのなら。
 ノインは、そこに肯定を見てしまった。
 否、肯定でも、赦しでなくてもいい。この人の中に在る。それだけで、俺は俺として救われる気がするのだ。
 奥を抉りながら、吐き出しそうな熱を抱えたまま、錯覚の中に身を沈めていく。
睾丸をせりあがってくる射精感が、ノインの腰の動きを性急なものにする。早く、一早く中に。この男の中に自分というものを注ぎ込みたい。腰の辺りが一際ずんと重くなった瞬間、ノインは迷子が漸く家に帰ったように、アスレイドの奥に精を吐き出していた。
「……ぁ……、っく、あ、あっ……あ、ああっ……!」
 突き上げるような射精だった。噴き上げる精が、奥を灼いて染めていく。二人の間をつなぐその体液が、ここに在ることを告げる印のように感じられた。
 「っ……は、……っく……」
 ノインはまだ抜けずにいた。アスレイドの中に、深く、自分を埋めたまま。ずるずると弛緩した上半身が、アスレイドの胸元にゆっくり落ちていく。その温かさに、瞳が潤んでいく。
 お前に受け入れてほしかったんじゃない。
 俺が、受け入れたかっただけなんだ。
 そして俺は、赦された。そう思った。
 そう思い込まなければ、もうどこにも行けなかったのだ。
 アスレイドの胸に顔を埋めたまま、ノインはそう、思い込んだ。そして、知らずに口元で嗤うアスレイドを見逃していた。
 あれだけ響いていた声も、ノノ、と呼ぶ声も。今はもう何も聞こえなかった。静かだった。けれど、それは声が救われたからじゃない。きっと俺が、もう聞かなくなっただけだ。

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